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【大分県竹田市】歴史の道の観光名所・キリシタン洞窟礼拝堂ほか

こんばんは、モカリーナです。

 

この記事は大分県竹田市の歴史の道にある、キリシタン洞窟礼拝堂など観光名所の紹介です。


国指定史跡「岡町跡」の城下には、江戸時代からの武家屋敷や寺院などの町並みが残っています。

 

情緒あふれる石畳でつながっている「歴史の道」には、

広瀬神社・キリシタン洞窟礼拝堂、武家屋敷・旧竹田荘・瀧廉太郎トンネル・瀧廉太郎記念館などが点在し、散策スポットとしてもおすすめです。

 

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キリシタン洞窟礼拝所

 

 

歴史の道散策

 

歴史の道とは

 

歴史の道とは、廣瀬神社・キリシタン洞窟礼拝堂・武家屋敷・旧竹田荘・歴史資料館・廉太郎トンネル・瀧廉太郎記念館・円通閣・十六羅漢・愛染堂・御客屋敷と城下町を巡る道のことです。

 

歴史の道には岡藩時代の面影を残す武家屋敷通りがあり、当時13軒の武家屋敷が120mに渡って連なっていました。

 

岡藩とは

 

岡藩は、江戸時代の豊後国(現在の大分県の一部)にあった藩。藩庁は岡城(現在の大分県竹田市)。領地は豊後国の大野郡・直入郡・大分郡にまたがり、小藩が分立した豊後国内では石高が最大の藩であった。竹田藩と呼ばれることもある。

(Wikipedia より引用)

 

廣瀬神社

 

海軍中佐の廣瀬武夫命を御祭神として祀られた神社です。

 

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岡藩士・広瀬友之允の次男として豊後国竹田に生まれ、日露戦争で功績をあげました。戦前は「軍神」として崇められ、37歳で戦死。

 

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日本初となる軍神として広瀬神社に祀られました。

 

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殿町武家屋敷跡

 

殿町は家老など中級武士の屋敷が多く残るところです。

土塀や長屋門があり昔の面影を残しています。

 

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この通りを「殿町武家屋敷通り」といいます。

長さは120m、当時13軒の武家屋敷がありました。

 

キリシタン洞窟礼拝堂

 

殿町武家屋敷跡にある細い道を山手に向かうとキリシタン洞窟礼拝堂があります。

こんなところにあるのかなという民家の間の小道を抜けるとあります。

 

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台風後ということもあり礼拝堂への道は湿気ていて濡れていました。

礼拝堂の手前には小さな貯水地があり、柄杓が置いてあります。ここで手を清めるようです。

 

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人目に触れないよう今をくりぬいて作られた礼拝堂は禁教令の中でキリスト教信仰の姿を垣間見ることができます。

隣には神父さまが身を潜めていた洞窟があります。

 

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礼拝堂内部は幅3m、奥行き3m、高さ3.5mで、正面奥の壁をほりこみ祭壇として使用していました。

 

豊臣秀吉はキリスト教の禁止を行いました。

江戸幕府もこの政策を引き継いで強化し、島原の乱(1637~38年)から、全国的にキリシタンの大弾圧が行われました。

 

岡藩においても元和5年(1619年)10月に宗門改めを始め、翌年から厳しいキリシタン狩りを行い、多くのキリスト教信者が捕らえられました。

 

当時竹田市には15,000人の信者がいたそうです。

 

旧竹田荘

 

日本の南画界を代表する田能村竹田は、藩医の次男として生まれました。

 

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南画とは、中国の南宗画に由来します。

中国の明から清の時代に高級官僚や教養人が趣味として好んで描いていた優雅な表現の水墨画です。 

 

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台風の影響により中には入れませんでした。

 

瀧廉太郎記念館

 

瀧廉太郎が12歳から14歳まで、郡長であった父に従って住んだ家です。

今は記念館として公開されています。

 

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台風の影響により中には入れませんでした。

 

岡城あたりでよく遊び、その後「荒城の月」を作曲しました。

 

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記念館の前にて

 

廉太郎トンネル

 

幅2.5m、長さ15mのこのトンネルを歩くと、

オルゴール調の「荒城の月」のメロディーが流れてきます♬

 

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豊後竹田駅

 

歴史の道は豊後竹田駅から岡城跡の駐車場まで続いています。

 

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豊後竹田駅の前にある稲葉川には、田能村竹田の作品が解説付きで紹介されています。

 

岡城跡

 

歴史の道は岡城跡の駐車場まで終わりますが、

合わせて是非観光していただきたいのが岡城跡です。

 

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山城である岡城跡は、必然的に上りが続きます。

兵庫県の竹田城が「虎臥城」と呼ばれたのに対し、ここは「臥牛城」と呼ばれました。 

これは岡城がかつて巨大な牛が寝ているように見えたことから付けられた名だと言われています。

 

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島田との戦いでこの城はよく耐え、秀吉からも名城として称えられました。

 

明治維新後、廃城令によって廃城とされましたが、初代岡藩主中川秀成によって築城された城郭は残っています。 

現在は岡城公園として公開されており、日本さくら名所100選にも選定されています。

 

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また岡城跡は瀧廉太郎の作曲した「荒城の月」に出てくるお城のモデルにもなっています。

瀧廉太郎は子供時代に岡城跡でよく遊んだといわれています。

 

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まとめ

 

歴史の道は豊後竹田駅から岡城跡までを結ぶ道で、その道中には竹田市の歴史的観光名所が多数点在しています。

 

歴史の道の主な観光名所としては、

廣瀬神社・キリシタン洞窟礼拝堂・武家屋敷・旧竹田荘 ・歴史資料館・ 廉太郎トンネル・瀧廉太郎記念館 ・円通閣・十六羅漢・愛染堂・御客屋敷

などがあります。

(太文字の部分を記事に載せました)

 

廣瀬神社は初の軍神として廣瀬中佐を御祭神が祀られています。

高台にあるこの神社からは展望所として竹田の町を一望できます。

 

瀧廉太郎は子供時代にこの町で暮らしたことがあり、岡城跡をモデルとし「荒城の月」を作曲しました。瀧廉太郎記念館とその近くにある廉太郎トンネルにも行ってみてください。

 

モカリーナは車を使っての訪問でしたが、

竹田市の魅力は小さな町なので観光名所には徒歩で行くことができることです。

様々な時代の歴史的価値のある名所をゆっくりと散策したいものです。

 

それでは次回また、モッチャリーナ(๑˃̵ᴗ˂̵)!

 

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最後まで読みいただき、ありがとうございました。

 

モカリーナより♡